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    スピン分解・角度分解光電子分光法による電子状態の直接観測

    当研究室では、光電子分光と呼ばれる実験手法を用いて物質の電子状態(バンド構造)を直接観測することにより、超薄膜中に形成される量子化状態、グラフェンに代表される単原子シート、そしてトポロジカル絶縁体などの新奇な物質の興味深い性質を明らかにしています。近年、光電子分光の技術の進歩はめざましく、スピンの情報を分解した測定や、meVオーダーを切る超高分解能の測定も可能になっています。物質の電子状態(バンド構造)が分かれば、原理的には全ての情報を取り出すことができますので、光電子分光法は現代の凝縮系物理および物質科学において最も重要な実験手法の1つです。以下にその原理と研究例を紹介します。

    光電子分光法の原理

    物質に仕事関数以上のエネルギーを持った光を入射すると、光電効果によって光電子が放出されます。このとき、エネルギーと運動量保存則(下図a, b)が成立するため、光電子のエネルギーと放出角度を測定することで、物質中の電子のエネルギーと運動量の対応関係を求めることができます。これは物質中の電子波の分散関係、すなわちバンド分散そのものであり、下図の式により簡単に計算することができます。角度情報を分解することから、角度分解光電子分光法(angle-resolved photoemission spectroscopy, ARPES)と呼ばれています。

    光電子分光で用いられる測定器を模式的に示したものが下図cです。これは半球形電子分析器と呼ばれるもので、電子レンズによって試料から導かれた光電子を、そのエネルギーごとに半球部分の静電場で分離することでスペクトルを得ています。現在ではマルチチャンネルプレート(MCP)を用いた2次元検出器が主流になっており、図のように複数のエネルギーと角度の情報を一度に取得することができます。左下のものがCCDカメラによって取得されたデータ像であり、グラフェンの線形なバンド分散が観測されています。実際の実験ではこのようなバンド分散をリアルタイムで観測することができます。

    さらに、最近ではMCPの部分に電子スピン分析器を設置することで、電子のスピン・エネルギー・運動量全ての情報を分解する、スピン分解・角度分解光電子分光(spin- and angle-resolved photoemission spectroscopy, SARPES)も行われています。電子スピン分析器としては、相対論的なスピン軌道相互作用によるスピン偏極散乱を利用したもの(Mott検出器)や、強磁性体ターゲットによるスピン偏極散乱を利用したもの(VLEED検出器、前ページの左図参照)があります。強磁性体の交換スピン分裂から始まり、トポロジカル物質の微細なスピン構造に至るまで、様々な系のスピン分解電子状態を抽出することができます。
    S. Ito, Master Thesis


    研究例1: ビスマス薄膜の表面状態・量子井戸状態の観測による非自明なトポロジーの解明

     S. Ito et al., Phys. Rev. Lett. 117, 236402 (2016). (Editor's Suggestion)



    近年、トポロジカル物質と呼ばれる新しい物質相が大きな注目を集めています。ここでいうトポロジーとは物質のバンド構造の幾何学的性質のことです。トポロジカルに「非自明な」物質は、非常に強いスピン軌道相互作用などの効果によって、通常の物質と比べて「反転した」バンド構造を持っています。このような「反転」はバンドギャップを閉じてしまわない限り戻らないことから、トポロジカル物質と通常の物質(「真空」それ自体も含まれます)の界面には、バンドギャップの上下をつなぐ特異な電子状態(トポロジカル表面状態)が出現します(下図左)。この電子状態は、系の対称性によって不純物から保護されており、またスピンが渦を巻いたヘリカルスピン構造を持つことから、磁場を使わずにスピンを制御する次世代スピントロニクス情報素子への応用が注目されています。

    最近私たちは、ビスマス(Bi)の単結晶が非自明なトポロジーを持つことを解明しました。Biは巨大なスピン軌道相互作用を持ち、トポロジカル物質を合成する最重要元素の1つですが、Biそれ自体のトポロジーは長らく議論が続いていました。通常、物質のトポロジーは、トポロジカル表面状態がバルクギャップをつないでいる様子を観測することで確認されますが、Biのバンドギャップが極めて小さく直接の観測が困難であったためです。この問題に対し私たちは、Bi超薄膜の厚みを精密に制御しながら、量子力学的な閉じ込め効果で形成される離散準位(量子井戸状態 = Quantum-well state, QWS)の変調を観測することで、従来よりも遥かに高い分解能でバンド構造を決定し、Biのトポロジーを明らかにしました。下図右上が実際の光電子分光のデータであり、バンド計算の結果と非常に整合的であることが分かります。
    S. Ito, unpublished


    研究例2: ホウ素の単原子シート「ボロフェン」がディラックコーンを持つことを解明

     B. Feng et al., Phys. Rev. Lett. 118, 096401 (2017). (Featured in Physics)



    2010年のノーベル物理学賞受賞に象徴されるように、グラフェンを始めとする単原子層物質の研究は現在の物質科学の一大トピックとなっています。原子層という形で考えられうる最小のスケールを実現しているだけでなく、3次元の物質には存在しなかった、2次元系特有の興味深い物性が発現します。とくに、グラフェンのハニカム格子上に存在する線形分散(ディラックコーン)は、相対論的な粒子が物性で実現しているという基礎的な興味に加え、その高い移動度による高速エレクトロニクスへの応用が期待されています。2次元のハニカム格子上には必ずディラックコーン的な分散が存在することから、様々なハニコム格子系が実験・理論の両面から研究されています。顕著な例として、シリコンやゲルマニウム、スズの原子から構成される、シリセン・ゲルマネン・スタネンがあります。

    このように、2次元系においてディラックコーンとハニカム格子は強い対応関係にあると考えられてきたのですが、最近私たちは、ホウ素(ボロン)の単原子シート「ボロフェン」が非ハニカム格子でありながらディラックコーンを持つことを見出しました。下図左aは通常のハニカム格子ですが、六角格子から一部の原子を取り除いたケース(下図左b)でも、波動関数の位相が打ち消し合って実効的なハニカム格子を形成することでディラックコーンが出現するのです。さらに、基板との相互作用によってホウ素シートに生じる皺(モアレパターン)が、新たな周期ポテンシャルとして、下図左cのようなデュアルディラックコーンを生成することを発見しました。下図右が光電子分光によって観測されたフェルミ面とバンド構造であり、ディラック的な線形分散が確認できます。本研究の理論部分は同じ物性研究所の杉野研によるものであり、物性研究所内の活発なコラボレーションの成果の1つです。
    B. Feng et al., Phys. Rev. Lett. 118, 096401 (2017).